阪神淡路大震災から、22年が過ぎた。

22年前、私ら夫婦と子ども一人の三人暮らしのアパート。震災の日、連れ合いが、子どもを抱え不安な顔をしていた様子を思い出す。

職場に行くと、県民局から支援体制を取るよう一通のFAXが流れてきた。

翌日、多くの人から商工会に届いた支援物資を2トン車に積み込んで、神戸に向かった。

その日の空の色、サイレンの音、空を旋回しているヘリコプター、傾きかけたビル、橋の欄干から水を汲もうとしている人の姿、

今も鮮明に覚えている。

防災に想定外は通用しない。「安心のまちづくり」を全力で。