昨夜、親友でもあり先輩でもある志水先生からの電話を取った。電話に出ると女性の声が聞こえた。電話の声は、志水先生の娘さん。
一瞬、何が起こったのかわからなかった。娘さんからの電話は、志水先生の訃報だった。
所用を大急ぎで済ませ、志水先生のお宅に向った。到着は、午後10時過ぎだった。
志水先生のお顔を見ても亡くなったという実感がない。眠っているようにしか見えなかった。先生の奥さんや娘さんに何をどう伝えていいのか悔やみの言葉さえも思い浮かばなかった。
今朝、4時頃に目が覚めた。まだ、志水先生が亡くなったことの実感がない。不思議な感覚が続いて、眠れない。
布団の中で、思い浮かぶのは、先生とお酒を飲みに行った楽しかったことや飲み会帰り志水先生の奥さんに送って頂いたことなどが思い起こされてきただけだ。
今日一日、頭の中で思い浮かんでいたのは、志水先生方友人数人と初めての泊り旅行、島根県の出会いが楽しかった益田市・出雲市の事。高知県黒潮町への一泊旅行では、カラオケと美味しい海の幸で盛り上がった。10人乗りのレンタカーを借りて友人10人で(志水先生が半分ぐらい運転)長野県に遊びに行き、長野県の親友たちにめちゃくちゃ お世話になった旅。
志水先生との楽しかったことばかりが思い浮かんでは消え思い浮かんでは消えた。
先生と最後にお会いしたのは、先月1月27日。オレンジランナーのポスティングをしていた時、スクールバスを運転していた志水先生とすれ違ったのが最後だ。その翌日28日の夜の先生との電話、いつもよりの長電話。この電話が志水先生との最後の会話に。
60代半ば過ぎの、思いもよらない早い別れに今も実感がわかない。
志水先生、先生のご家族を見守って下さい。
私は、志水先生とお酒を飲みながら語り合った「私たちの夢 誰ひとり置きざりにしない社会」に向かって明日も明後日もこれからも走り続けます。まだまだ、先生のところに会いに行けません。お酒も酌み交わせません。ゆっくりお待ちください。