先月5月9日に防災センターでの江嶋修作先生の講演会「いじめ問題解決に向けての提言」の講演録を読まさせて頂いた。

講演後、1ヶ月以上過ぎてからの講演録。活字で読むと成るほど成るほどとようやく理解できたことも多くあった。

この講演の大切さ、宍粟市のまちづくりにも生かせる良さを伝えることが出来ない力量不足が残念。

講演録の一部抜粋。

一人ひとりが毎日朝起きて寝るまでに出会う人間関係。ネットワーク。いじめは今ここで起きている。こことは、何か?ここって何?中学生なら中学生が毎日生活しているその一人ひとりのネットワークです。マルチマイナー文化。マルチってのは多重ってこと。何重にも。マイナーは小さい。

中学生の人間関係っていうのは、マルチでかつマイナー。一番大きな集団が、クラス、学級。サッカーのクラブに入っているとここに先輩後輩同級生の集団ができる。塾に通っているとすると塾に通っている集団ができる。また、別の習い事に行っているとすると別の集団が。このように小さな集団が幾重にも重なった中で中学生は生活している。

集団力学グループダイナミックス。中学3年生の時に考えていたクラスの仲間は絶対だという関係。小学校の時に仲の良かった友達。高校の時に仲の良かった同級生も今(大人になれば)はほとんど付き合いはない。舟木一夫さんの『高校三年生 ークラス仲間はいつまでもー』そんなことは無いって。あっという間に中学校の時の付き合いは、大人になるとほぼゼロになる。この現実を子どもに教えてあげなければ。

いじめを受けなきゃ理由も何もないのに、何故、いじめを受けている側が恥ずかしがらなダメなの?いじめをしている側が恥ずかしがらないとダメでしょう。いじめを受けている子の話を聞いていると、自分がいじめられてるって親が心配する。友達が心配することが屈辱。嫌なんですよ。いじめられていることを知られることが恥ずかしいことになっている。この価値観を変えなきゃダメですよ。この価値観を変えなきゃ。

認知的不協和理論などの解釈も必要(マイナス状況の正当化を壊す)

いじめの問題を考える時、いじめられているから可哀そう、死んでしまいたいような子ども出したらいかん。それは上から見てるのじゃないですか。世界の流れはもっと先に行っています。LGBTとは性的少数者を多数者が見てるんです。多数の立場から、あっ、そういう人もいるんだ。そういう人の権利も認めてあげないかんなぁ。というような見方でみているんです。世界の流れはSOGI。性的指向は本人の勝手。本人がどんな指向を持つのかは本人が決める事。

などなど。凄く良かった講演を短文として、私の力量では上手く伝えられない。残念。